明日に、希望なんて持てやしない。
あいつが、居る限りは。

…僕は、ずっとあいつに犯され続けている。
心も、身体も、何もかも。
初めて、身体を許してしまったあの日から。

最初のうちはまだ良かった。
あいつのこと、好きだったから。
少しくらい、乱暴に扱われたって…
いや、最初の頃はこんなじゃなかった。
あいつも、僕に優しくしてくれた。
幸せだった。

だけど、何時からだろう?
あいつの顔から笑顔が消えたのは。
あいつの僕を抱く腕が、きつくなったのは。
あいつと二人の時を、脅える様になったのは。


「何やねんそれ、アホやなー!」
「何だよそれ!お前が出来ないって言うから代わりにやってるのに!
 その言い草ムカつく!お前やれよ!」
「嫌や〜出来へんもん!」
「じゃあグチグチ言うなよ!ばか!」

ゲラゲラと笑いながら、あいつと敏弥はゲームに熱中。
赤い髪が、色んな方向に動いている。
いつも通りの、笑顔で。

そのうち、薫君が敏弥を呼びつけて、敏弥は部屋から出て行ってしまった。
じゃあやもちゃん行ってくるよ〜、なんてアホな事を言いながら。
…いつもは鬱陶しく感じるのに、今日は少し、胸が痛かった。

「…あーあ、敏弥行ってもうたわ」
ぽいっと、ゲームをソファーに投げる。
同時に、さっきまでの表情も何処かに消える。
僕の脳裏に焼きついた表情。冷めた表情。

「さぁ、心夜に構うかな」
お馴染みの軽い調子で言い、隣にどかっと座るあいつ。
雑誌に手を伸ばし、強引に取り上げてきた。
「あ…」
何か言おうと言いかけて、止まる。
きつく、口を塞がれてしまったから。

「…ッ…!」
抵抗しようとしたが、変な体勢になっていて、思う様に力が入らない。
そしてあいつは、一層力を掛けてきた。
そんな訳で、ソファーに倒れこむ形になってしまった。
あまりにも、きつい接吻。
酸素不足か、段々と意識が朦朧としてくる。

不意に、唇が離れた。

「…はぁっ…!み…見られたら…ぁっ…どうすん…や…っ……」
息絶え絶えに、あいつに告げる。
けれども、どうせ言った所で無駄なんだという事も判ってた。
「…別に」
普段のトーンからは考えられない位、低い声。
そして、表情の無い瞳が、こちらの瞳を覗き込む。
「何なら、此処で犯してやろうか?」
口元だけ僅かに歪めて。あいつは、そう呟いた。


幸い、タイミング良く京君が来てくれたので 、大丈夫だった。
だけど、もし京君が来てくれなかったら?
…どうなっていたか、判らない。

…何でこんなに脅えているのに。
どうして、僕はあいつから逃げられないんだろう。
…僕は、何処かおかしいのかも知れない。

「…んや?」
はっと気が付くと、目の前に敏弥が居た。
どうやら、薫君に呼ばれた用事が終わったようだ。
あいつは…京君と一緒に出て行ったから、今はいない。
あいつが居ない所なら、脅える必要なんて、無い。
少し、ほっとした。

「大丈夫?」
少し困った顔をして、敏弥が話しかけてくる。
「別に。何で」
そうは言ったものの、さっきあいつに脅されたばかり。
顔色がすぐれないのは、自分でもよく判っていた。
「ん…じゃあ、いい」
何か言いたそうな様子だったが、しぶしぶと敏弥は告げた。

「…あのさ」
しばらく考え込んで黙っていた敏弥が、意を決した様子で、話しかけてきた。
「何?」
「うん…あのさ…
 ……やもちゃんとさ、堕威君ってさ…付き合ってんだよね?」
「…」

答えられなかった。
言いたくないからではなく、判らなかった。
これは、付き合っていると言えるのだろうか?
ただ抱く側と、ただ抱かれる側。
この関係って、一体何?
誰かに答えて欲しかった。

「…あ、…うん…その、言いたくないならいいんだけどさ」
俺は困惑した表情でもしていたのだろうか。
ぱっと、表情を変えて話しかけてきた。
けれども、すぐに目を細めて、告げてきた。

「あのさ、堕威君さ…助けてあげられるの、きっとやもちゃんだけだからさ。
 だから……助けてあげてよ……ね?…俺じゃ、無理だから…。
 …じゃ、そういうことだから。じゃあね」
敏弥も、部屋を出て行ってしまった。


「助けてあげて」
敏弥の言葉が耳の奥で響く。

助ける?何を?あいつを?
犯されているのは、僕だというのに。
助けて欲しいのは、僕なのに。
僕な筈なのに。

何が何だか判らない。
苛々とする。

あいつは、ただ僕を苦しめるだけじゃないか。
あいつは、ただ僕を痛めつけるだけじゃないか。
あいつは…そう、何時だって。

ねぇ、敏弥。
あいつに僕の声なんて、届かないよ。


今日もまた、家にはあいつが居た。
当たり前の様に、僕の家に。

追い出すのは簡単な筈なのに。何故か、拒めない。
特に今日は、敏弥の言葉が頭から離れなくて。
抵抗する気が起きなかった。

…何だか、久しぶりにあいつの顔をちゃんと見た気がする。
十分知っていた顔だったのに。
何故、こんなに懐かしい気がするんだろう。
あの頃より、髪が少し伸びてて。
幸せを感じてた、あの頃より。

「…ねぇ、痩せた?」
…何時振りかの、言葉。
しばらく、談話もしていなかった。
あいつは、予想していなかったのか、一瞬だけ、少し眼を大きくした。
もっとも、すぐにいつもの顔に戻ってしまったのだけども。
「…まぁ、ちょっと…」
何処か違う方を向きながら、答えてくる。
そんなに言いにくいことなんだろうか。

…あ、そうだ、この仕草。
こんな仕草も取ってたっけ。
久しぶりに見た、そんな気がする。


まどろむ意識の中、ぼんやりと浮かぶ風景。
あれは…少し前のこと。

何故か、泣いていた、あいつ。
何故か、僕の腕を振り払った、あいつ。
何時だっけ。曲でも作っていた時かな。

…ああ、そういえば。
いつも、あいつの傍には音があったっけ。
あいつの弾く、ギターの音色。
何処か、違うものを見ているその瞳で。
いつも、音を紡いでいた。

何時しか、音が聴こえなくなっていた。
ずっと、ずっと、あいつは音を鳴らしていたのに。

僕はその音に、
耳を。
身体を。
心を。
傾けていなかった。

自分の事ばっかりに夢中になってて。
幸せに浸っていたくて。
でも、そう思えば思う程、あいつが判らなくなっていって。

あいつは、いつも叫んでいたのに。


すっと、僕は手を伸ばした。
身体が、あまり言う事を聞いてはくれなかったけど、何とかあいつの首に届く。
でも、それだけで十分だった。
あいつの動きが、止まる。
どうしたらいいのか、判らない顔をして。

仕方ない、一言だけ、伝えてやった。
「…堕威君は、不器用なんだから」

「…何やねん、それ」
呆れた顔と声で告げてきた。
けれども、瞳は優しかった。
あの頃と、同じ様に。