判ってる。 本当は、判ってる。

本気じゃない事。
ただの気まぐれだって事。
遊びだって事。

それでも、僕は…

静寂の中、不快な音が混じる。
ドアノブを、乱暴に回した音だ。
お帰りなんて、声は掛けてやらない。
どうせ、耳にはいらないのだから。

水道の蛇口をひねる音。
水の流れる音。
音という音が、気に入らない。

僕の世界に侵入してくるなよ。

「…心夜」

…油断した。
ちょっと無視し過ぎたようだ。こんな近くまで来ていたのに…。
彼の表情が変化したのが空気で判った。
横目で、彼を見る。
少し小ばかにした顔。

「顔、強張ってるで」
「…」
「…あ?あ、また怒っとる」
少しだけ困惑を含んだ笑い顔であいつは呟いた。

別に怒ってる訳じゃない。不快なだけ。
なのにいつもこいつは「怒ってる」って言うんだ。

「怒ってないって!」
思わず、声が出る。
本当は向くつもりは無かったが、あいつの顔を思い切り見てしまった。
眉一つ動かしやしない。少しだけ目を細めて、どことなく笑っている。
「はいはい」って、そう顔が語ってる。

…また、馬鹿にしてる。
顔がかっと赤くなる。…馬鹿馬鹿しい。相手にしてるだけ時間の無駄。

もう僕を放っておいて。

でも。
そう思っても。
どっかで、僕はこの人を求めてるんだ。

突き放すのは簡単なのに。

無視すればいいのに。

「…おかえり」
つい、一言。

ここは僕の部屋なんだ。
こいつの部屋じゃないのに。

いつか出ていく筈の人に、そう、声をかけた。

「ただいま」
あいつは、当たり前の様に答えた。

…一体、僕がどんだけ悩んで、声をかけたか判ってんの?
…いや、僕が悩んでることだってあいつはお見通しなんだ。

僕が、突き放さないって知ってるから。
僕が、求めてるって知ってるから。

ただいまと言った後の、いつもの柔らかいキス。その後の抱擁。
でもそれも偽り。知らないシャンプーの香りだけが、真実を伝える。

ずるいよ。

何で僕を苦しめる?
何で僕を抱きしめる?

これ以上、期待させないで。
これ以上、踏み込まないで。

目の前がぼやける。
でも、気が付かれたくないから。
あいつのこと、好きって。
僕だけを見て欲しいなんて。
僕だけを抱きしめて欲しいなんて。

潤む目を隠し、今日も偽りの生活が始まる…